竹中平蔵とポール・クルーグマン(MIT教授)は二十年来の知己である。ニューヨークタイムズ紙(七月九日付)への寄稿で、クルーグマンは竹中に小泉政権の構造改革路線への懸念をぶつけている。規制緩和や民営化など経済のサプライサイドを通じた改革を行なうという竹中の主張に、課題は需要創出だと考えるクルーグマンは違和感を拭えないようだ。「この計画は暗闇の中で跳ぶようなもの」。クルーグマンは、こうした言葉で議論を締めくくる。竹中の答えは記されていない。「それでも跳ぶのがベストだ」。竹中ならばそんな答え方をしたかも知れない。一度でも竹中に接した者は、大抵、明晰な口調で論点を整理していく様子に引き込まれるはずだ。 様々な理論を援用して現実の経済問題に「解」を出してみせる竹中は、神学論争めいた議論が踊る経済学の世界では極めて異質な存在である。その異質さゆえか、日本の経済学界での竹中の評価は驚くほど低い。 ただ、竹中の個性が必要な理論を次々と取り込むエネルギッシュな姿勢の中にあるのも事実だろう。その経済学者としての軌跡を辿ってみると、竹中がいかに自らのフィールドを拡大することに執着してきたかが分かる。革命期の米国に学ぶ

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