『河岸の街』が教える党の「歴史認識」

執筆者:徳岡孝夫2001年7月号

 五年前に中国に渡って二年間、英米文学を教えた元平和部隊の一員、というからアメリカの青年である。彼ピーター・ヘスラーは、四川省の東端、人口たった二十万の町で暮らした。町の特徴は、揚子江に面していることだった。 帰国して三年、彼は『河岸の町』という体験記を書き上げ、一流出版社ハーパー・コリンズから出した。最近の本だから、私はまだ読んでいない。以下は新刊本の紹介と批評をするワシントン・ポストのブックワールド・サービスからの受け売りである。なかなかの文章力で、抒情的かつ時に劇的な語り口だと評している。 プリンストンとオックスフォードで英文学を学ぶ間、ヘスラーは西欧的価値観を信じて疑わない教授たちに飽き足りないものを感じ続けた。物の見方が違うはずのシナ人は、どう英文学を読むのか? 彼は「河岸の町」に行って古典叙事詩『べーオウルフ』からシェークスピア、近くはロバート・フロストの詩を教えた。 その間、教え子すなわち中国の若者と親しく交った。町のラーメン屋、食堂、散髪屋、カラオケ・バー等々に日常的に出入りし、数え切れない友達をつくった。カラオケ屋は、カネを握った若者が「寝る女」をハントする場所であることも知った。

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