十六歳の時、私は高校を休学し、一年半をかけて、自転車で二十六カ国を回った。常識的には無謀とも言える挑戦だったが得たものは多かった。 たとえば、旅の間、五百通くらい手紙を書いた。独りの淋しさからだが、それは他人に何かを伝えるうえですごく貴重な体験だったと思う。何より、心身ともに未熟なあの時期、孤独の中で徹底して自分と向き合う時間を得られたことは大きかった。漠然と抱いていた「物書きになろう」という思いが、明確な輪郭をとり始めたのもこの時だ。 旅先では、多くの出会いにも恵まれた。会ったばかりの相手の懐に飛び込んでいけたのは、今にして思えば若さ故、人恋しさの故だったかもしれない。しかし、結果的にはこの旅を通じて、人との距離のとり方を学んだように思う。 日本では、常に力関係で物事がはかられるが、海外で仕事をしてみると、人と対等な関係を築くことの重要性を痛切に感じる。その時ものを言うのは、文化や価値観の異なる相手と交流する「対話」の能力だ。その点、我ながら環境に恵まれたと思う。 幼い頃は、シナリオライターだった父親の原稿用紙がオモチャがわり。何か一つ買ってもらうにも「企画書」を書かねばならない。だが、そのおかげで自分の思考や感情を文字に表す習慣が身についた。話し合いの場において親と子はあくまでも対等な関係にあり、幼いながらも論理的に話すことを覚えた。こうした家庭に育っていなければ、そもそも「自転車で世界一周しよう」などという発想は生まれなかったかもしれない。

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