傭兵はかくあるべし

執筆者:梅田望夫2001年9月号

 ブライアンとのミーティングを終え「やっぱりシリコンバレーの層の厚さは尋常ではない」と、私はため息をついた。世界同時株安を引き起こしたIT不況に動揺する気遣いもなく、あえて起業家精神などという言葉を持ち出す必要もないほど自然に、生まれたばかりのベンチャーをいかに育てるかについての「冷徹でプロフェッショナルな営み」が淡々と執り行われているのが、ここシリコンバレーの日常である。 ブライアンは五十代後半。ピアース・ブロスナンを少し年取らせた感じの精悍な容姿と鍛え上げられた体躯からは、自信と余裕が溢れていた。 一九六九年にスタンフォード大学で原子核物理学の博士号を取得。海軍の大学院で物理学を教えた後、七三年にヒューレット・パッカード(HP)社の研究所に移り、四十代前半まで、医療機器やレーザープリンタの研究開発に従事。それから「プロの経営者」への道を歩む。まずは売上高百億円程度の中堅ハイテク企業の技術担当副社長で経験を積み、大手企業の売上高四百億円商品事業のエンジニアリング担当副社長、事業責任者を経て、九三年に彼は「ベンチャーの傭兵」となった。 傭兵というと語弊があるが、ベンチャーにCEO(最高経営責任者)として乗り込み、経営の全権を任されて数年間采配を振るう「プロの経営者」のことである。彼がやってきたことといえば、経営危機に陥っていた技術ベンチャーを三年間で立て直して約百億円で大企業に売却するとか、成長期のベンチャーの売上高を五十億円から二百五十億円に伸ばすといった「派手さはないが堅実な仕事」である。

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