アメリカは「九月十日」には戻れない

執筆者:ルイーズ・ブランソン2001年10月号

九月十一日を境に、アメリカ人にとっての世界は変わってしまった。高まる愛国心は、アメリカをどこへ連れて行こうとするのか――。[ワシントン発]パスポートを差し出すアメリカ人旅行者の団体が「いったいどこへ行きたいのか」と問われて曰く「九月十日」――この、最近のマンガの一コマは、アメリカを覆う感情を如実に表している。世界は変わってしまった。もはや安全な場所はどこにもない、唯一、逃げ道があるとすれば、それは時を遡ること。ここには、アメリカ全国民の切ない「見果てぬ夢」が描かれているのだ。 街じゅうに掲げられた星条旗、夜を徹しての祈り、明々と燃えるキャンドルの灯、果敢な消防士、被災者に寄せられた何億ドルもの寄付、「必ずやビン・ラディンを捕らえる」と声高に叫ぶ閣僚たち――アメリカ人の愛国心には微塵の揺らぎもないかに見える。だが、その盛り上がりとは裏腹に、彼らは今、かつて経験したことのない不安と怒りをかみしめている。 アメリカは聖域のはずだった。中東に北アイルランド、世界のどこで何が起きようと、すべては「対岸の火事」。『プライベート・ライアン』のような戦争映画や、視聴者参加型のサバイバル番組を見るのと同じ、高みの見物を気取っていられた。アメリカが脅威にさらされるのは、『インデペンデンス・デイ』や『タワーリング・インフェルノ』のようなフィクションの中でだけ――その神話が脆くも崩れ去ったのだ。

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