イスラエルを悩ます「湾岸戦争の亡霊」

執筆者:島崎淳2001年10月号

対米テロとパレスチナ問題がリンクされることを恐れるイスラエル。極端に右傾化した世論は、シャロン首相さえをも「弱腰」と突き上げているが……。[エルサレム発]十月七日夜。米英軍のアフガニスタン攻撃開始のニュースがイスラエルに飛び込んできたのは、夕食時の時間帯だった。暗闇に時おり光る閃光の映像。食卓を囲んだイスラエル人の多くが、ちょうど十年前の湾岸戦争開戦時を思い浮かべたのは想像に難くない。 多国籍軍のイラク空爆で始まった湾岸戦争では、パレスチナ問題との「リンケージ」をもくろむイラクが、計三十九発のスカッド・ミサイルをテルアビブなどに撃ち込んだ。ガスマスクをつけ、ミサイル攻撃の警報をラジオが報じるたびにシェルターに避難する生活を送った恐怖を、イスラエル市民はいまだに鮮明に記憶している。 市民の最大の懸念は、米国の攻撃の標的がアフガニスタンからイラクにまで広がった場合、イラクが再びイスラエルに、生物・化学兵器などを使って攻撃を加えてくることだ。こうした不安の高まりから、九月十一日のテロ発生直後には、国民に配給されているガスマスクの更新に走るイスラエル人が激増。軍当局は全国に二十三あるガスマスク配給所を三十に増設して対応に当たった。訪れる市民の数はテロ発生まで一日三千人程度だったのが最大一日四万人にまで増え、ガスマスクの更新を受けるイスラエル市民が配給所の前に長蛇の列を成した。

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