「テロの温床」となったドイツの困惑

執筆者:大野ゆり子2001年10月号

何人ものテロリストが国内に身を潜めていたという事実に、ドイツが揺さぶられている。一方で、労働力を移民に依存しなければならない現実もあり、悩みは尽きない。[ハンブルク発]「ドイツは、いつからテロリストの準備室になったのか」。米国同時多発テロの実行犯がハンブルクの大学への留学生だと報じられてから、毎日のように報道で繰り返される問いである。七〇年代の赤軍派と違い、今回のテロリストたちが、表面上は合法的な市民生活を送る、いわゆる“スリーパー”であったことが、当局のマークを不可能にした。 二年前にカナダで逮捕されたアルジェリア人の供述によると、イスラム過激派組織内には「スリーパー・ハンドブック」なるものが存在し、「静かな住環境を選ぶこと、変に目立たない服装をすること、髭をそること」など、いかに西側の生活スタイルに合わせるか、という心得が百八十頁にわたって記されているという。都会のわりに緑が多く落ち着いた雰囲気の港町ハンブルクは、ハンドブックのいう「静かな住環境」に合致したのだろう。ハイジャック機を自ら操縦していたと目される三人の留学生のここでの生活は、模範的であった。訛りのない流暢なドイツ語、落ち着いた柔らかい物腰。担当教授も同級生もアパートの大家も、女性との握手を嫌がるという点以外には、彼らの行動を訝しく思ったことは一度もなかったという。

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