「テロとの戦い」は、パレスチナ問題を抱える中東の軍事大国イスラエルが世界に誇る“専売特許”だった。一九六〇年代末から八〇年代にかけてはヨルダン、レバノンに拠点を置くパレスチナ・ゲリラと戦い、九〇年代は占領地ヨルダン川西岸、ガザ地区で台頭したパレスチナのイスラム原理主義組織による自爆テロに悩まされ続け、その経験を通じて「テロ対策大国」を自任するに至った。だが、九月十一日に起きた米中枢同時テロ後の米国の「対テロ戦」の方向は、イスラエルが抱いた「期待」を裏切る方向に動いている。 イスラエルは、ブッシュ米大統領が「対テロ戦」を宣言するや、昨年九月末から続くパレスチナとの衝突・戦闘の事態と結びつけ、「テロの解釈」を自らの文脈へと引きつけようとした。シャロン首相はテロ発生直後から、アラファト・パレスチナ自治政府議長を「イスラエルにとってのウサマ・ビンラーディン」と決めつけ、和平に反対するハマスやイスラム聖戦といった原理主義組織だけでなく、九三年のパレスチナ暫定自治合意(オスロ合意)以降進んできた和平プロセスの相手側である自治政府をも全否定してみせた。 一年以上に及ぶ衝突・戦闘の中で表向きは「停戦」や「テロ非難」を口にしながらも、原理主義勢力やその他の武装グループを本気で抑えようとしないアラファト議長への嫌悪が発言の背景にあったのは間違いないとしても、シャロン首相の本当の狙いは、ブッシュ大統領が口にした「テロとの戦い」をもって、イスラエル軍がヨルダン川西岸、ガザ地区で続ける対パレスチナ軍事強硬策や、六十人以上に及んでいるパレスチナ活動家暗殺を正当化し、あわよくばイスラエルの現在の路線への米政府の暗黙の了解を得ることにあったといってもよいだろう。

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