貧富の格差はなぜ生まれたか

執筆者:伊藤洋一2001年12月号

 先月書いた「テロ根絶」のためには、「世界的な貧富の格差縮小」が必要だとしばしば語られる。日本と同じように世界中の国や人々がいつか豊かになると希望するのは、たぶん悪いことではないのだろう。ただ、目下の手詰まりを直視せず、単にカネと物資をばらまけば事足りると言うならば、「小切手外交」よりタチが悪い。 ある宗教や体制の選択は、本来的にはその人や国民の自由である。アフガニスタンのタリバン政権は今でこそ国民から鼻つまみ者だったと解説されるが、ソ連軍が撤退したあとの混乱状態の中で安定と治安を欲した人々の支持があってこそ、短期間で同国を実効支配する存在になり得た。 根本的にその体制は、国民を豊かにすることを目的とはしていなかった。「タリバン」とは「神学生(複数形)」を意味する。タリバン政権は、言ってみれば「宗教に仕える若者達の政権」だ。偶像崇拝を禁止し、テレビもラジオも駄目。女性には教育を与えず、外出には常にブルカを強要した。世俗的な「欲望」を一切拒否したのである。 マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を持ち出すまでもなく、資本主義を選んだ我々は、働くことにある種の善を感じている。その善を担保するために、資本主義先進諸国は資本の存在を保証する安定的な法的枠組みの中で、人々の欲望を自由に許容する体制を作り上げてきたと言えるだろう。

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