不審船事件は日本にとっての「9.11」だった

執筆者:中西輝政2002年1月号

これは戦後初の、国としての交戦である。海の“国境”で起きた「新しい戦争」を直視しなければ、日本は「滅びの道」を進むほかない。 二十一世紀の最初の年であった二〇〇一年という年を振り返ると、非常に示唆的な年であった。九月十一日にアメリカ本土を襲った同時多発テロが強い印象を残したことはもちろんだが、日本にとって「二〇〇一年の衝撃」はそれだけでは終わらなかった。年の瀬も押し迫った十二月二十二日、東シナ海で「不審船」と海上保安庁の巡視船が銃撃戦を行なうという衝撃的なニュースが飛び込んできたからだ。 幸い、海上保安庁側の被害が死者を出すようなものではなかったことから(不審船側には十五名の死者があったが)、早くも一過性の事件として、メディアや世間の関心は薄れつつあるように見える。しかし実際には、日本にとって「12.22」は、アメリカにとっての「9.11」にも匹敵するような大きな意味をもった出来事であったのだ。 それは、低強度武力紛争、つまり「新しい戦争」という基本概念を導入して対処しなければならない時代がこの日本の門口でも進行しており、日本だけがこうした新たな時代潮流に気付くことなく、目の前の不景気や小泉改革をめぐる国内政局のみに目を奪われているとしたら、大変なことになってしまうからだ。そうした歴史的分岐点に、我々はいま立っているのである。

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