九・一一同時多発テロ事件に対してロシアは、まず国益優先からチェチェン民族紛争をにらんで反応した。プーチン・ロシア大統領がチェチェン武装勢力に対して「アフガニスタンのタリバン勢力との絶縁」を呼びかけると、ブッシュ米大統領もチェチェンとタリバンの断絶を迫ったのだ。 それまでは「チェチェン少数民族へのロシアの過剰弾圧」を批判し、二〇〇一年四月の国連人権委員会の同趣旨の決議にも賛成した米国が、急にロシアのチェチェン政策容認へ百八十度転換したといえる。 ロシアはまたグルジア共和国内のチェチェン・ゲリラ基地の閉鎖も要求したが、その際、「国際テロリズムの基地」「文明のための戦い」などと米国製用語を使った。九・一一事件を契機に米ロ関係が改善に向かった陰で、独立志向の少数民族に逆風が吹き始める。 旧ソ連の民族行政区の中で、カフカス地方の民族構成は複雑きわまる。大カフカス山脈北側の八共和国・地方の特徴は少数民族の集中だ。人口約二百万のダゲスタン共和国には、約三十もの少数民族が混住するほどである。 うちチェチェン人やイングーシ人らの支配地は二十世紀のロシア革命後の約一年間だけ「山地共和国」として認知され、一九三六年にチェチェン・イングーシ自治共和国に発展する。しかし、第二次大戦中の四四年に自治共和国は廃止されたばかりか、「ドイツ軍に協力した」との理由で両民族はシベリアなどへ強制移住させられる。戦後の名誉回復後は大半が故郷に戻り、自治共和国も五七年に再出発した。

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