「外務省のラスプーチン」の跋扈と凋落

執筆者:城山達也2002年4月号

鈴木宗男代議士に影のように寄り添ってきたノンキャリ外交官が求めたものは何だったのか。政治家の野望と官僚システムの歪みが“やり手の暴走”を生み、対ロシア外交には深い傷だけが残された。「外務省のラスプーチン」と呼ばれた佐藤優・前国際情報局主任分析官が、対ロシア政策で隠然たる影響力を行使する契機となったのは、一九九八年三月、チェルノムイルジン・ロシア首相の更迭をスクープしたことだったといわれる。 当時、イスラエルに滞在中だった佐藤は、同国情報機関、モサドから「エリツィン大統領の側近の間に、チェルノムイルジン首相の影響力拡大に対する不満が高まっており、首相が解任されそうだ」との情報をつかみ、本省に打電した。一週間後、首相ら全閣僚が更迭され、佐藤の情報は的中した。「ロシア情報ではモサドが世界一。米中央情報局(CIA)は足元にも及ばない」と主張していた佐藤の面目躍如だった。 佐藤が「大臣」と呼ぶ鈴木宗男北海道・沖縄開発庁長官(当時)は首相解任の翌日、「日本政府は一週間前、外国情報機関からこの情報をつかんでいた」と異例の記者発表を行ない、「佐藤優こそ日本一のロシア通」と政府内で吹聴して回った。 それまで佐藤は、省内で必ずしも優遇されていなかった。九一年、ソ連保守派が起こしたクーデター事件で、ゴルバチョフ健在をいち早くつかむなど「特ダネ外交官」として知られていたが、ノンキャリアだけに政策への影響力は限られていた。九七年のクラスノヤルスクでのエリツィンと橋本龍太郎首相の首脳会談の時のこと。エリツィンがサウナで相手の性器をつかんで親愛の情を示す癖のあることを橋本に伝えようとしたが近づけず、焦る姿が目撃された(サウナは結局、キャンセルされた)。しかし、ロシア首相更迭のスクープを機に、佐藤の影響力は高まった。

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