緑の丘の 赤い屋根 とんがり帽子の 時計台 鐘が鳴ります キンコンカン メーメー小山羊も 啼いてます 俺らはかえる 屋根の下 父さん母さん いないけど 丘のあの窓 俺らの家よ(菊田一夫作詞『鐘の鳴る丘』) 幼稚園と小学校低学年の時、よく歌った。セピア色の戦後の原風景に流れるバックグラウンド・ミュージックとなっている。それとともに思い出すのはエリザベス・サンダース・ホームの写真である。園長、澤田美喜が混血の幼気な子供たちに囲まれている。子供たちも彼女もまん丸と太って、ミルクとバターの匂いまで漂ってきそうな……。中でも、芝生が鮮やかだった。 敗戦は、多くの孤児を生みだした。そして占領軍の進駐が始まると、進駐軍の兵士との間に混血の孤児が生まれた(その数は十五万人から二十万人と言われた)。「信仰半分、意地半分」 澤田はその子供たちを引き取って育てるため、エリザベス・サンダース・ホームを設立した。三菱財閥の創始者岩崎弥太郎の孫娘で、総帥岩崎久弥の長女という育ち。戦前、外交官の夫(澤田廉三)とともにブエノスアイレス、北京、ロンドン、パリ、ニューヨークと長い間、外国暮らしをした経験。そして、彼女が生前、何度も口にした「信仰半分、意地半分」、つまり、キリスト教徒としての務めと、命を預かった以上、途中でやめることは出来ないという責任感。それらが澤田を駆り立てたのである。

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