明け方のエルサレム旧市街地には、歴史と宗教が凝縮されている。 夏、陽がようやく昇りかけたころ、イエス・キリストが十字架にかけられ、その遺体が葬られたという聖墳墓教会の中では、さまざまな宗派の聖職者たちが祈りの準備で大忙しだ。街路に出れば、あちこちにあるモスクから朝の礼拝を終えたイスラム教徒が帰宅を急いでいる。その間を縫うように、黒い独特な服装をした正統派ユダヤ教徒が「嘆きの壁」へと石畳の道を足早に歩いていく。 古来、聖地は神秘的な磁力を持っている。エルサレムも多くの宗教を引き寄せてきた。ユダヤ教以前、エルサレムには「いと高き神」が祭られていた。紀元前一〇〇〇年頃、ダビデが十戒を入れた「契約の箱」を置き、息子ソロモンがユダヤ教の神殿を作った。神殿は紀元70年、ローマ軍に破壊され、それ以来、再建されていない。神殿があったとされる「神殿の丘」の西壁は「嘆きの壁」と呼ばれ、ユダヤ教の最大の聖地だ。 ユダヤ教の改革運動を始めたイエスも「最後の晩餐」のあとなど、多くの足跡をエルサレムに残した。イエスが十字架を背負って歩いた「悲しみの道(ビア・ドロローサ)」は春の復活祭のころ、世界中から来たキリスト教巡礼者でごった返す。ただ、考古学的にはここが本当の「悲しみの道」とは実証されていないが。

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