お座敷遊びは楽しいぞ

執筆者:成毛眞2002年4月号

 ここ十年ほど、年に数回の割合で、お座敷遊びをしている。まわった花街は、東京では赤坂、新橋、神楽坂、円山町。京都の祇園町、宮川町。金沢の主計町、東茶屋町など。「一見さん、お断り」の京都に限らず、料亭やお茶屋のなじみ客に知人がいなければ足を向けにくい場所であるがゆえに、知っている店の数を競うことはしない。一花街、一軒だ。 いわゆる芸者遊びをしているわけではない。芸者衆の芸を愛でるのだ。新興の温泉場ならともかく、日本舞踊家や和楽器演奏者ともいえる有名花街の芸者衆は、数少ない伝統文化の継承者になりつつある。文字通り、寝る間を惜しんで朝から晩まで稽古をし、夜は屏風の前でそれを披露する厳しい毎日。それでもにこやかにお座敷を務める芸者衆に会うと、多くの日本人が捨て去った伝統文化だけでなく、勤勉や努力を重んずるという失われた日本の精神風土にも出会えた気がして、時に罪悪感や喪失感さえ抱くことがある。 ともあれ、お座敷は同じ料金の高級クラブなどに比べてはるかに楽しい。月とすっぽんだ。 高度成長期から銀座などのクラブは、取締役という役職のサラリーマンや中小事業家など、自己の目標は達したが今一つ満たされない思いを抱いた男達が、ちやほやされるためにお金を使うところだ。社会から認知されない多数の成功者を、水商売のエリートたる銀座ホステスが誉めそやす。成長期に生まれた新興勢力は、新興の遊び場を必要としていたのだ。

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