「栄光のフランス」を襲う極右旋風の衝撃

執筆者:浅井信雄2002年6月号

 統一国家としてほぼ現有領土を支配するフランスの成立は、十六世紀だったといわれるが、それ以前も以降も、この地には雑多な人びとが流れ込んで、刻印を残し、そのことが民族的に多様なフランス人を形成したといえる。 先住者と後続移民との間には当然、しばしば摩擦が生まれた。今春のフランス大統領選挙で、極右政党・国民戦線のルペン候補が異民族排撃を叫んで予想外の支持を集めたが、そこにも先住民族と後続民族の最新の摩擦という側面がある。 また先住民と後続民が住み分けした結果、多様な言語、慣習、政治文化が各地に残って自己主張した。国家への帰属意識強化の試みは地方の反発を招き、政治体制に「抑止と均衡」の独特の配慮を加えている。現行の大統領制でも、アメリカほどには大統領に権力はなく、大統領任命の政府が国民議会に責任を負う。 紀元前三世紀からローマ人の侵攻を受けてほぼ全域が征服されたが、五世紀末の西ローマ帝国崩壊からコロンブスのアメリカ大陸到達まで、この一帯は旧世界の西の終着地とみなされ、移民の多くは定住を選んでいる。パリを中心に支配した有力民族がフランク族であり、フランスとは「フランク族の国」の意味だ。 今日、北東部でゲルマン系民族、西部でケルト系民族、南部でガロ・ロマン系民族が優勢だが、最大多数民族はケルト系である。スペインとの国境の両側に居住するバスク系民族の源流は全く不明であり、最古の移民と推定される。

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