中小企業の集積地である東京・大田区を訪れたのは四年前のことである。 大田区はただの中小企業の集積地ではない。どこか高いビルの屋上から「こんなものが欲しい」と設計図を紙飛行機にして飛ばしたら、二、三週間後に立派な試作品になって戻ってくると言われるほど、大田区には実に多種多様な技術を持つ工場群がある。しかも、彼らは「仲間回し」と呼ばれる協力関係でつながっており、一人の企業主が設計図を受け取ると、違った技術を持つ仲間同士が集まり、試作品を作り上げる。 四年前も景気低迷が続いていたが、ユニークな技術を誇る企業は健在だった。しかし、その後、日本経済を襲った不況は並大抵のものではなかった。おまけに量産製品の生産拠点は中国へ移り、日本経済の空洞化が進んだ。その影響をもろに受けたのが中小企業である。中小企業のチャンピオンともいえる大田区は、どうなっただろうか。それを知りたくて今回再度取材することにしたのである。「苦しい状況が続いています。生き残り策を必死で摸索している最中です」 大田区産業振興協会専務理事の山田伸顕氏(五四)の言葉である。 大田区の工場数は一九八四年の九千がピークで、その後、減る一方。いまは六千をちょっと上回る程度にまで落ちた。大田区の得意技は金型生産だ。量産を始める際に必要な部品の型である。いくら中国へ生産拠点がシフトするといっても、世界に誇る職人集団が作る、この金型だけは無理だろうと思われていたのだが、とんでもない強敵が出現した。CAD(コンピュータ・エイデッド・デザイン)とか、CAM(コンピュータ・エイデッド・マニュファクチャリング)と呼ばれるコンピュータ・システムの普及だ。

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