【ブックハンティング】 歴史と記憶

執筆者:増井朔2002年7月号

 言葉が寒い。より正確には言葉を巡る状況が寒々しい気がしてならない。日々大量の情報が映像を伴って流れてゆく。照射されながら繰り返し自問する。その情報は自分に何か関係があるかどうか。時代の閉塞感は人を妙に哲学的な問いに立ち返らせる。書くことに、語ることに意味があるか。真摯な表現者たちの悩みは誠に深い。高村薫の新作『晴子情歌』(上下、新潮社)を読んで、そんなことを考えさせられた。 前作『レディ・ジョーカー』から実に四年半ぶりの書き下ろしになる『晴子情歌』は、読書界(まだそんなものがあったと仮定しての話だが)の今年最大の話題作の一つである。というのも、この作品は高村の持ち味とされてきた「骨太のミステリー作家」というこれまでの看板を捨て去ったところで成立しているからである。『晴子情歌』は一九七五年から七六年に時代が設定されている。人生の晩年を迎えた主人公の晴子は、遠洋漁業の船に乗ってインド洋を航海する息子の彰之へ宛てて百通もの長い長い手紙を送る。母が綴るのは、自分の両親と姉弟、そして夫の一族の物語である。小説はこの晴子の旧かな遣いの手紙と、それを受け取った彰之の描写が交互に表れて、淡々と進んでいく。

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