管理国家シンガポール ほの見える変化の芽

執筆者:浅井信雄2002年8月号

「シンガポール人とは何か」――人口も資源も乏しく、国境を越えて広く人材を募った時代から、シンガポール人自身のアイデンティティ(帰属意識)が議論される時代になってきた。「現代の孔子」と俗称されるシンガポールの老指導者リー・クアンユー氏。一九五九年、英国から自治権を得て首相に就任した人民行動党(PAP)のリー氏は、いまも上級相として「院政」以上の権力を握っている。九七年の総選挙で八十三議席中、八十一議席も確保した人民行動党の安定支配がまだ続く。 マレーシアの一部だったこの国を私が訪問した六五年、そこは牧歌的風景に溢れていたが、いまや経済競争力で世界の上位を保つ近代国家として異例の繁栄をとげた。これでは野党の出番がない。 その成長を指導したリー氏の統治理念は「管理は快感なり」だ。この国に熱狂は無縁、万事冷静な管理下にある。合理的な効率主義ではあるが、時に強権政治の匂いが伴うのも否定できない。 リー氏の発案で二年前、市内ホンリム公園の一角に「演説者コーナー」が開設されると、一大ニュースになった。事前に届け出れば誰でも演説できるが、「誇張は許さぬ」との条件が重圧になる。政治家批判には名誉毀損罪が待ち、民族や宗教の議論もタブーである。ただ、言論の役割を「政府の考えの正確な伝達者」とした従来の認識から、国家や政治に関する議論を通してシンガポール人意識育成へ転換かと注目された。九七年以来、若年者への現代史教育を強化したのも同じ発想だろう。政府首脳からは「政治の再創造」なる発言も聞かれる。

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