「サムライ」 秋野豊『ユーラシアの世紀』

執筆者:船橋洋一2002年8月号

 ユーラシアの地肌が冷戦後、浮き出てきた。重くれて、脂ぎって、面妖な地肌である。 カシミールからパレスチナまで、民族、宗教、歴史、地政学、核兵器、石油・ガス、テロ、麻薬、難民……国際政治のクレージー・キルト。 そして、九・一一同時多発テロが起こった。ユーラシアのブラックホールとも言うべき破綻国家、アフガニスタンがテロリストたちの憎悪の司令塔と化した。 冷戦後、そのユーラシア・アナキーを、国際政治学者、秋野豊はたった一人で歩いて回った。ユーラシアが二十一世紀の国際政治の上でもっとも危うく、同時に新しい可能性を秘めている概念として立ち現れようとしていることを誰よりも鋭く予感し、その日本への意味合いを嗅ぎ取り、日本のユーラシア外交の輪郭をまさぐった。 しかし、そこにはどのようなシステムが生まれるのか、どこが「一番弱い環」なのか、それを分析、予想しなければならない。 それがアフガニスタンであることは間違いない。だが、アフガニスタン政府からビザは下りなかった。軍閥が群雄割拠していた。秋野はタジキスタンに的を絞ることにした。アジア・ユーラシアの自己主張〈モスクワ・ドゥシャンベ間の航空便は週に二便程度しかなく、数週間にわたり満席だった。まともなルートでは切符は入手不可能と思われた。そこで三日に二~三便飛んでいるモスクワ・タシケントのルートを利用することにした。このことからも、いかにウズベキスタンの首都・タシケントが中央アジアの中心点となっているかが理解できる〉

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