オサマ 生きていても死んだも同然

執筆者:徳岡孝夫2002年9月号

 去年の九月十一日、ニューヨークとワシントンがテロにやられる日まで、ブッシュ米大統領とホワイトハウスはロクな中東政策を持たず、ましてアフガニスタンのことなど考えたこともなかった。 その間に、ヒンズークシに泥の家を建てて住むアル・カエダは、パレスチナのユダヤ国家を抹殺するため、イスラエルの大旦那であるアメリカの心臓部を衝く計画を練り、手はずを整え、旅客機を乗っ取って自爆し、何の罪もない三千人を殺し、ニューヨークの摩天楼群の中で最も美しい双柱を根こそぎにした。 それから一年が過ぎた。アメリカは覚醒したが、テロリストに動機を与えた中東の紛争は、解決の糸口すら見えない。 つい先日も、イスラエル空軍はガザを夜襲し、人家の密集地帯にミサイルを撃ち込んだ。ハマスの軍事部門指導者は首尾よく仕留めたが、同時に子供九人を含むパレスチナ人十五人を殺した。 瓦礫の中から掘り出されたパジャマ姿の子供の遺体を、誰かが両手で高く掲げて見せている写真が世界中に流れた。幼な子は血の気のない頭をのけぞらせて死んでいる。黒煙を上げる世界貿易センタービルの映像と同様、正視に堪えない写真である。 むろん、ハマスは「百人殺す」と報復を誓った。そして十日以内にヘブライ大学の学食でテロがあり、日本人学生二人が巻き添えになって負傷した。ハマスはいずれ手慣れた手法でスクールバスを狙い、ユダヤの子らを殺すのだろう。報復の報復へのさらなる報復。明治政府は復讐禁止令(明治六年)を出したが、二十一世紀の世界には無辜の民を殺す報復を禁じる法律がない。

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