「上海スピード」を体感する

執筆者:伊藤洋一2002年11月号

 ここ四、五年で変貌著しい上海に行く日本人は誰でも、「古き良き時代の上海を残して欲しい」と思うようだ。私もそうだった。凄まじい破壊と変貌、そして刮目の発展を目の当たりにするからだ。東京の二倍はある高層ビル群、そしてアメリカを思わせる広い道路。旅行者は羨望しながらも思う。「歌に聞き、歴史に習った上海がなくなってしまう」と。 上海人にはそんな気は全くない。知識層も、取り残された貧しいアパートに住む人々も、そして公園で女性達のパラパラ踊りを見る老人もすべて「これでいい」と言う。 それは、日本人が歌や歴史で思い浮かべる上海が、英米仏などとの「租界」での自由で優雅な生活と結び付いているからだ。中国人は外国人租界の優雅な暮らしを「壁の穴から羨ましく見るだけ」(森ビルの竹内総経理)だった。彼等には「古き良き上海」などという思い出はない。 過去の「強いられた国際化」を忘れようとするかのように、上海は今自ら国際化に突き進んでいる。まず言葉。リニアモーターカーの駅舎を取材していると、我々を中学生中心のグループが英語で逆取材しにきた。学校新聞の編集者達。なかなかうまい。日本の中学生は、喋りであれだけの英語を操れない。

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