「民主党消滅」へのカウントダウン

執筆者:中島義行2003年1月号

菅直人新代表選出のその夜から、離党の動きが具体化した。「石原新党」でもできた日には三十―四十人が離れていくとも。結党から四年を経ても旧党派の壁を破れない民主党は、もはや消え行く運命にあるのか。 民主党の鳩山由紀夫前代表が「政治生命」を賭けて打ち出した民主、自由両党の新党結成構想が潰えた直後の十二月初め。小泉純一郎首相は、側近である自民党の中川秀直国会対策委員長と次のような会話を交わした。 首相「鳩山さんは本当に気の毒だよなあ。代表選で勝ってから、まだ二カ月じゃないか」 中川氏「あなたのせいですよ」 首相「はあ。何で俺のせいなの」 中川氏「六〇%対三%。内閣支持率と民主党支持率の、このどうしようもない開きが鳩山降ろしの原因なんですから。すべてあなたのせいなんです」 首相「ワッハッハ。そんなこと言われても困るよなー」 支持率三%(正確には二・九%)ショック――。NHKの最近の世論調査で記録された、この野党第一党として目を疑うような空前の不人気が、民主党の一連の混乱と迷走の最大の原因であり、そしてまた必然の結果である。 民主党は九月の代表選以降、十月の衆参統一補選での惨敗、新党騒動、その果ての鳩山氏の引責辞任と、文字通り迷走に迷走を重ねた。代表選では鳩山氏、菅直人氏、横路孝弘氏、野田佳彦氏と四人の候補者が乱立し、旧党派ごとの寄り合い所帯ぶりと世代間の深刻な対立を露呈させた。鳩山氏が僅差で三選を勝ち取ったものの、激しい選挙戦の結果、党内に癒やしがたい亀裂としこりを残した。さらに鳩山氏がその後の新執行部人事で「代表選で支援してもらった見返り」に中野寛成氏を幹事長に起用するなど露骨な論功行賞人事を行ない、混乱を加速した。

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