ある英国大使館員の引退

執筆者:西川恵2003年1月号

 日英同盟が締結されて百周年を迎えた今年、日英両国は新しい協力関係に踏み出した。インド洋に展開する海上自衛隊の補給艦は昨年来、アフガニスタンでのテロとの戦いの支援で米艦船に燃料などの物資補給を行なってきたが、一月末から日英両国政府の合意に基づき、英艦船への補給も開始した。 その節目となる年も押し詰まった十二月六日、駐日英国大使館の敷地内にある館員社宅で、広報担当官の春海二郎さん(六一)の送別パーティーが開かれた。大使館広報部に勤務して二十八年。春海さんをよく知るジャーナリストや雑誌編集者など約五十人が集まった。 広報部長のスーザン・木下さんは「私たちは春海さんを“社長”と呼んでいました。私たちが行き詰まると面白いアイデアを出し、気落ちしていると励ましてくれる頼りになる存在でした」「ただ会社の社長だったらもっと上にいけますが、大使館ではそうしたシステムがないのでお別れしなければなりません」とあいさつした。 神戸新聞、サンフランシスコの北米毎日で新聞記者をし、帰国後、求人広告を見て、一九七四年、大使館広報部に入った。英国暮らしの経験がないことが英国を相対化して見る姿勢を作ったが、これが面白いアイデアを生んだ秘訣かも知れない。春海さん発案の企画で、特に大きな反響を呼んだのが広報誌「クオリティー・ブリテン(Quality Britain)」(八八年~)と日英グリーン同盟(二〇〇二年)だ。

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