「外交」のかくも長き不在

執筆者:2003年2月号

 小泉純一郎は外交に興味がない。外交に関する豊かな経験や知識があるのに興味がない、ということではなく、経験と基礎的な知識の欠落によるものだ。この人物は知識のない分野に関しては学ぼうという姿勢はまったくなく、無視しようとする癖がある。 典型が金融政策であり、外交である。いずれも国家にとって死活的な政策分野だが、国家の最高指導者がそれに興味がないのでは救いようがない。もっと深刻なのはそのことにほとんど日本社会が気づいていないということである。「ちょっと待て! 北朝鮮外交を小泉はやったじゃないか」という反論が予想される。が、北朝鮮外交で小泉が「やった」部分は専用機で平壌へ日帰り旅行し、金正日に会っただけだ。すなわち外務省の勝負師、田中均という外交官が金正日の親戚筋とのルートを使って築いた「据え膳」を食したのである。「この据え膳を口にすれば、歴史に名を残す」という誘惑に簡単に屈しただけのことである。 田中均が、己の栄達のために北朝鮮外交を使ったとは必ずしも思わない。彼なりの外交論をもとに動いたのだろう。しかしながら、拉致問題で世論の北朝鮮に対する反発が強まると、小泉は田中を切って捨て、表舞台からはずした。田中が武士なら辞表をたたきつけるべきだった。しかしアジア大洋州局長だった田中は政務担当外務審議官に昇進した。北朝鮮外交の論功行賞のように見られているが、多くの反対を押し切って田中を昇進させたのは、小泉ではなく、内閣官房長官の福田康夫である。

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