組織主導の「日本型資本主義」の生みの親とも言われる渋澤栄一。しかし、資本主義の勃興期に生きた栄一にとって、「組織」とは限られた資源を有効に活用するためのツールに過ぎなかった。英語を母語として育ち、米系ヘッジファンドでの職を経て起業した、栄一から数えて五代目の子孫が、渋澤資本主義の原点と、その今日的な意味について語る。 生涯に約五百の会社設立にかかわった実業家、渋澤栄一(一八四〇年―一九三一年)は、日本の資本主義制度の勃興期に、証券取引所や商工会議所、銀行などの制度を設計したことから、「日本資本主義の父」と呼ばれている。その考え方は一般に、「論語と算盤」というキャッチフレーズで知られる。彼は「事業理念の範を、資本家とは一見不釣り合いな『論語』に求め、事業活動は常に道徳にかなったものでなければならず、不正に得た富は許されないと主張し、かつ実践した」(佐野眞一『渋沢家三代』文春新書)。人の人生の中でもっとも重要な軸と考えていた道徳を、資本主義という手法で表現した渋澤栄一。この一般的には常識外れな思考と行動に彼の魅力がある。 ところで、この「日本資本主義の父」は私のご先祖様である。お祖父さんのお祖父さんが栄一で、直系ではないものの私は渋澤家の五代目に当たる。その私は、小学校二年で日本での教育を離れ、英語を母語として育った。社会人になって初めて帰国、再び米国でMBA(経営学修士)を取った後はいくつかの米系金融機関を東京とニューヨークでわたり歩き、四十歳の誕生日を機に独立した。過去十年以上は、ヘッジファンドに関連する仕事に就いている。

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