僕がテレビを見ない理由

執筆者:成毛眞2003年2月号

 テレビはあまり見ない。夜のニュースですら見ないことが多い。どうせ翌日の新聞に詳しく報道されていると思うと、三十分でも時間を拘束されるテレビがうっとうしい。しかも、関東版のニュースで「先週、凹凸町の川で白い泥鰌が見つかりました」という「事件」を真面目にやっているのに激怒してから、あまりに空しいので見ないようにしている。 それにしても、白い泥鰌一匹の発見を関東一円四千万人に報道する魂胆はいったい何なのだろう。テレビだって本来黒い泥鰌に対して異質で珍しい白い泥鰌の発見を伝えているのだから、「あなたがたも外国人などを見たら通報してください」との意図でも隠されているのだろうか。つくづく目立ってはいけない国のようである。 昨年後半は北朝鮮拉致被害者家族問題が最大のニュースだったのは間違いないが、ネタがなくなりはじめると「拉致被害者家族テレビ日記」の様相を呈し、しみじみ彼らに同情を感じた。屋根の雪おろしをしている拉致被害者の映像が何の意味を持つのか。しかし放送局は「問題を風化させないため」と強弁するのだろう。 スポーツも駅伝やマラソンなどのロードレースしか見ない。野球はいまだに何が面白いのかわからない。サッカーも見ない。チーム数が多すぎて覚えられないし、乱闘の気配すらないのはスポーツ特有のスリルとは無縁のような気がする。モータースポーツや自転車競技はいうにおよばず、アメリカ野球やフットボール、日本以外のサッカー、ショートトラックのスケートなどは、観客が何らかのハプニングを期待していることは間違いない。スポーツ観戦は本来気晴らしなのに、ここでも全体の予定調和があり、様式化してしまう日本にため息がでる。

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