[ロンドン発]二月二日にバツラフ・ハベル大統領の退任を控えていたチェコ共和国議会は、一月末になってもまだ後継者選びに揺れていた。決選投票へ向けて候補者を絞り込むのに、なぜこれほどもめるのか。それはチェコ政治の複雑さゆえでもあるが、もっと深い意味を読みとることもできる――ハベルの代わりは、誰にも務まらないということだ。 ハベルは大統領としてのみならず、いくつもの顔を持っている。才能豊かな劇作家、反体制活動家、人権擁護活動家――。だが、多彩なプロフィールのみに目を奪われてはならない。チェコ共和国大統領として、ハベルは政治の世界に品格と人道主義をもたらした。それこそが彼の最大の功績である。 彼がソ連のくびきから逃れた小国チェコスロバキアの大統領に就任したのは、一九八九年十二月。九三年一月一日にはチェコ共和国とスロバキア共和国に分離し、小国はさらに小さくなった。だが、ハベルの偉大さを讃える声はむしろ高まった。それは、多くの政治家が為し得なかった「己の良心に恥じない、清廉な政治」を彼が体現したからだ。 ハベルは若くして創造の世界に触れ、芸術の洗礼を受けて育った。父はプラハでルセルナ劇場を、叔父はバランドフ映画撮影所を所有。ともに文化の中心的存在だった。だが、故国が共産主義者の支配下に置かれた一九四六年、この恵まれた少年時代が思わぬ仇となった。

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