政治とイスラムの共生へ トルコの挑戦

執筆者:立山良司2003年4月号

 昨年十一月に行なわれたトルコの総選挙で、イスラム主義の流れをくむ公正発展党が過半数を優に超える三百六十三議席(定数五百五十)を獲得し、イスラム政党として初めて単独政権を樹立した。イスラム政党の台頭により、近代トルコの父ケマル・アタチュルク以来の国是である世俗主義が揺らいでいるようにも見える。だが世俗主義とイスラム教への回帰は、必ずしもあちらをとるか、こちらをとるかというゼロ・サム的な対立関係にあるとは限らない。 第一次世界大戦で崩壊したオスマン帝国の後を継いだ現代トルコは、国家の基盤をがらりと変えた。オスマン帝国が統治原理をイスラム教に求めていたのに対し、新生トルコは民族アイデンティティを基礎とした国民国家を目指し、政教分離原則を導入したからである。以来、世俗主義の守護者を自任する軍は、イスラム勢力の政治活動に厳しい監視の目を注いできた。 それでも一九七〇年代初めには初のイスラム主義政党、国家秩序党が活動を開始した。国家秩序党はその後、国家救済党、福祉党と名を変えながら党勢を拡大し、九六年には連立の中核としてついに政権を掌握したのである。だが福祉党の躍進はあまりに急激だった。警戒した軍が介入し、福祉党政権は一年足らずで退陣を余儀なくされた。さらに同党は政教分離を定めた憲法に抵触するとして解散を命じられた。後継となった美徳党も二〇〇一年再び解散を命じられている。

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