野村証券に流れる「清冽な地下水」

執筆者:喜文康隆2003年4月号

「野村証券には清冽な地下水が流れている」(『追悼北裏喜一郎』)     * 野村ホールディングスの新社長(CEO=最高経営責任者)に五十二歳の古賀信行が就任することになった。一九九七年、総会屋への利益供与事件を機に急遽、社長に就任した氏家純一を含め、ここ三代の野村グループのトップは、言わばハプニングで生まれてきた。古賀の社長就任は久方ぶりの平時のバトンタッチである。 野村の社長交代発表と同じ二月二十八日、人選の難航していた産業再生機構の社長に斉藤惇元野村証券副社長の就任が決まった。年初には、これまで官僚OBによって占められてきた中小企業金融公庫総裁に水口弘一元野村総合研究所社長(元野村証券副社長)が就任している。野村グループ内の果敢な若返り人事と、公的機関での野村OBの活躍はつながりがあるのだろうか。変革の遺伝子 野村グループは今、日本で唯一の「経営の安定した金融機関」と言える。企業価値をあらわす株式の時価総額は三月上旬で二兆八千億円弱と日本の金融機関でナンバー1で、株価も千四百円台だ。ライバル視してきた日本興業銀行の“なれの果て”とも言えるみずほグループの凋落と比較すると、野村グループの突出ははっきりする。今から十年前、一九九二年末の野村証券の時価総額は二兆九千億円と現在とほぼ一緒。一方、みずほグループの前身を見てみると、日本興業銀行の時価総額が九二年末に五兆八千億円、富士銀行、第一勧業銀行がいずれも五兆二千億円と、三行合計では十六兆円を上回っていた。それが、今年の三月上旬時点で、上場持ち株会社であるみずほホールディングスの時価総額は一兆円割れの九千三百億円台。九二年に比べると十七分の一以下である。野村グループと比較すれば、十年前には五倍以上だった時価総額が、三分の一以下になった計算になる。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。