ロシアの判断を誤らせた「アフガン症候群」

執筆者:松島芳彦2003年5月号

[モスクワ発]米軍がバグダッド包囲網を狭めていた四月二日。ロシア・バシコルトスタン共和国の首都ウファでは、イスラム教徒二千人が集会を開き、イラク戦争に怒りの声を上げていた。ロシア最大のイスラム組織を率いるタジュジン師はイラク国民に連帯する「聖戦」を宣言、武器購入の募金を呼び掛けた。旧ソ連のイスラム教徒の聖戦は、第二次大戦でナチス・ドイツに対して宣言されて以来という。 クレムリンが大統領担当のロシア人記者を、モスクワ郊外の大統領公邸に急遽呼びつけたのは翌三日夜。プーチン大統領はここで「政治的な観点からも経済的な利害からも米国がイラクで敗北することは、ロシアにとって好ましくない」との見解を表明した。 大統領府筋によれば「終戦後のことを考えれば、これ以上の反米感情の高まりはまずい」との判断が突然の記者会見の理由だった。大統領は翌日、翌々日と視察先でも同様の見解を繰り返している。戦後に予想されるイラクの利権争いを重視するクレムリンが、対米関係の維持を優先し、軌道修正にいかに腐心したかが分かる。 イラク情勢をめぐるプーチン大統領の発言は、政治解決の原則は貫きつつも、ニュアンスを見ればかなりの振幅があった。開戦当日に大統領が発表した声明は、戦前の抑制されたトーンから一転して、米国の攻撃を「弱肉強食の論理」と糾弾。「手段を選ばずに自国の目的を追求することが許されれば、主権の尊重という国際関係の基盤が崩れ去る」と強調した。二〇〇一年九月に米国で起きた同時テロをきっかけに、経済重視の親米路線へ舵を切った大統領の公式発言としては、最も激しい調子を帯びたものだった。

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