「上海グループ」との戦いを始めた胡錦濤

執筆者:伊藤正2003年5月号

堰を切ったように流れる国際ニュース、影を潜めた法輪功弾圧……。「法治」重視の姿勢は、世論を味方につけた政権基盤固めでもある。[北京発]三月の全国人民代表大会(全人代)で胡錦濤国家主席と温家宝首相を中心にした中国新政権が誕生した直後、イラク戦争が始まった。この戦争報道で、中国メディアの変身には驚かされた。国営新華社通信は「開戦第一報でロイターを十秒抜き、通信社ではトップだった」と誇り、現地雇いのイラク人記者に千ドルの社長賞を贈った。 国営中央テレビ(CCTV)は、開戦直後、異なる三つのチャンネルで生の特番を組み、三チャンネル合わせ、連日三十時間前後の放送を続けた。新聞も、人民日報などの「官報」は比較的抑制した報道ぶりだが、一般紙は特集で競い、開戦翌日には、三十ページもの別冊特集を出した新聞もあった。 十二年前の湾岸戦争はおろか、二年前の同時多発テロ事件の時もこんなことはなかった。CCTVが国際ニュースの生中継をしたのは、二年前、二〇〇八年北京五輪招致や中国の世界貿易機関(WTO)加盟決定のときなど、中国が直接関与したケースだけだった。 イラク戦争の前から、「変化」は起こっていた。二月下旬に清華大、北京大で起こった連続爆弾事件や三月中旬のロイター通信支局への立てこもり事件は、新華社とネットメディアが速報戦を展開、外国人記者の取材も制限されず、公安当局が現場で状況説明に応じた。

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