王宮を飾った玉虫

執筆者:大野ゆり子2003年5月号

 ああ、ここに帰ってきたと自覚できる音、色、匂い。たとえば、ニューヨークの摩天楼を縫う車のクラクションの音。ミラノの大聖堂周辺に漂うほろ苦いコーヒーの香り、几帳面に整えられたミュンヘンの街路樹。こうした、街を特徴づける横顔のようなものが、ここブリュッセルには不思議にない。 もちろん、グランプラスや小便小僧の周辺には、ベルギーワッフルとチョコレートの甘い匂いがいつも満ちているし、EU(欧州連合)関連の重要な建物が密集するシューマン地区の裏通りでは、ユーロクラートとロビイストたちの間で交わされるありとあらゆるヨーロッパ言語の響きが聞こえる。しかし、ブリュッセルに住んで半年も経つと、こうした街のイメージが、永久に終わらないジグソーパズルのように、断片的にすぎないことに気づかされる。もちろん、道路表示から牛乳のパックにまでフランス語とフラマン語という全く異なる言語が併記されていることが、この街の捕えどころのない印象に一役買っているのだろう。しかし、もっと日常の奥底、ちょうどブリュッセルで活躍した画家、ルネ・マグリットの世界のように、見慣れたはずの日常から、超現実の世界へポンと送り込まれそうな驚きと仕掛けが、この街には一杯隠されているように思えるのだ。たとえば、部屋のドアが閉まったまま人の形でくりぬかれ、その先に何があるのか、全くの謎という「予期せぬ答え」という作品のように……。

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