イラク反戦のとんだ勘違い

執筆者:徳岡孝夫2003年5月号

 バグダッドが戦場になったので思い出したが、私はあの町で交通事故をやったことがある。正確には私は助手席にいて、ハンドルを握っていたのはダイハツのエンジニアだった。プロだから、ヘマな運転などしない。相手が悪いに決まっているのに、イラクでは正義は通じなかった。 前日午後三時にアンマン(ヨルダン)を出て月明の砂漠を九百六十キロ、途中二時間ほど仮眠しただけで、こちらも疲れていた。西の方からバグダッド市内に入ったのが正午前、気温は四十五度になっていた。 大きいロータリーに入って向こう側に出ようとしたとき、後ろから来たトラック改造の乗合バスが無理に追い抜いたのでバンパー同士がガツンとやった。 言葉が通じない。私は大声でポリスを呼んだ。三十数年前の話で、当時は英軍に在籍した経験のあるイラク人が多く、兵士や巡査は少々の英語を解した。ところが巡査は疵をチラと見て「ははあ日本車だな。この国は右側通行で、お前は馴れていなかったんだ。運転に支障なさそうだから行け。許してやる」と言う。「こっちは右と左でまごつくような腕前ではない。後ろから来て当たった方が悪いのに決まってるじゃないか。謝罪と弁償させろ」と私は粘ったが、巡査も向こうの車も消えてしまった。以後しばらく私は、イラクは法と秩序のない国、理路の通らない国だと先入見を持った。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。