「IPOのカリスマ」失墜は何を物語るのか

執筆者:喜文康隆2003年6月号

「《それにしても、何か変わったことでもあったのだろうか》と一九四〇年の九月にあの出不精の小市民が、家具に埋まりながら言ったことです。《みな相かわらず同じようなビフテキを食べているじゃないか》」(ボーヴォワール『人間について』)     * 証券取引委員会(SEC)などの米国の規制当局が、一九九〇年代後半のハイテク株ブーム時に横行した「スピニング(回転)」の規制に乗り出すという。このニュースを聞きながら、奇妙なデジャビュ(既視感)の感覚にとらわれている。 スピニングは「証券会社が引受業務などでの指名を目指して、決定権を持つ企業幹部に値上がり確実で通常の投資家には行き渡らない新規公開株を優先的に回す行為」(日本経済新聞)だという。これは、日本の証券会社がまだ「株屋」と呼ばれていたころ、日本の証券市場で特定の顧客を優遇する手法として常態化していた「親引け」そのものである。「親引け」は日本では、バブルのさなかの一九八〇年代後半に廃止されている。三菱重工業の転換社債をめぐる不祥事や、その後大事件に発展した江副浩正リクルート会長による大量の未公開株ばらまきに対する批判の結果だった。 今回、米国でやり玉にあがっているのは、クレディ・スイス・ファースト・ボストン(CSFB)のフランク・クアトローン氏。シリコンバレーを舞台に、ハイテク株の公開引受の分野を開拓し、IPO(新規株式公開)ブームをビジネスモデルにまで昇華したインベストメントバンカーの世界の大スターである。しかし、八〇年代後半にジャンク債(低信用・高利回り債)市場を立ち上げた後インサイダー取引によって足下をすくわれたマイク・ミルケン氏と同じように、クアトローン氏もやはり、自らが生みの親となったビジネスに復讐されることになった(そして、ミルケン氏もやはり、九〇年代のIPOブームの主役のひとりとして復活している)。

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