ルーマニアのラドゥ王子が五月九日までの十日間、日本を初訪問した。ルーマニアは共和政体でありながら旧王族の国政参加に道を開いたばかりで、日本政府に「君主制でない国の旧王族をどう遇するか」という儀典(プロトコール)上の難問を突きつけた。 ラドゥ王子は日本滞在中、遠山文部科学相、土屋外務政務官らと懇談する一方、「ルーマニアの外交と国家安全保障」というテーマで講演するなど精力的に各界の人々と交流した。肩書は「ルーマニア政府特別代表」だが、日本人にルーマニアをより知ってもらい、投資、貿易を促進するのが目的のいわゆる親善大使。欧州、中東諸国以外で訪れたのは日本が初めてで、日本への期待が窺われた。 ラドゥ王子は元は王族でない。一九六〇年、両親がブカレスト大学医学部の教授という家庭に生まれた。知識人階級で比較的恵まれていたが、チャウシェスク政権時代は「暗黒の日々だった」という。ブカレスト映画演劇大学で舞台芸術を修めて五年後の八九年、東欧革命で同政権が崩壊した。 英、仏に留学していたとき、四七年以来、国を追われスイスで暮らしていた元ルーマニア国王、ミハイ一世(八一)の長女、マルガリータ王女と出会い、九六年に結婚した。

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