ポーランドにおいて、カトリックは単なる宗教ではない。民族を定義するものだ――。国民の九五%がカトリック信者のポーランドでは、カトリックが国民統合の基盤を提供し続けてきた。一九八〇年代初頭から東欧で最も先行した自由化運動を国民レベルで支えたのもカトリック教会だった。EU(ヨーロッパ連合)への加盟の可否を決める国民投票も六月八日の日曜日だったため、「ミサから投票所へ」という教会の呼びかけが奏功し高率の加盟支持となった。だが自由が実現された今、教会の強い発言力が改めて問われていることも事実だ。 ポーランドが公式にカトリックを受け入れたのは十世紀までさかのぼる。ただ、カトリック教会が国家や国民意識の守護者的な役割を果たし始めたのは十八世紀末以降のことだった。三回にわたるポーランド分割やナチス支配など苦難の歴史の中で、教会は民族の統一と解放のシンボルとなったのである。 第二次世界大戦後の共産党支配時代、政権から敵視されたカトリック教会は自由と人権の擁護者となり、西側とのつながりを維持する精神的な絆となった。特に七八年、古都クラクフの大司教カロル・ボイティワが第二百六十四代ローマ法王ヨハネ・パウロ二世に選ばれると、教会の影響力は決定的に増大した。八〇年に結成された自主管理労組「連帯」が二年後には非合法とされながらも自由化運動を推進できた一つの大きな要因は、インテリから労働者、農民階層を一つにまとめたカトリック教会の支持だった。

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