「よきに計らえ」から十年

執筆者:2003年9月号

 夏が来るたびに苦い記憶が蘇る。十年前の夏、三十八年も続いた自民党単独政権が崩壊し、細川護熙政権が誕生した。日常、政治の世界に「青い鳥」のような話があるはずがない、と思っていたが、このときばかりは、年がいもなく興奮したものだ。その一年二カ月ほど前、細川が単身、新党旗揚げを宣言したころから、世の中には明るい期待感の混じったいわゆる“風”が吹き始めていた。 東京の、たしか乃木坂だったと思う。新党旗揚げにいたく感動した「蠅」子は、細川の事務所に押し掛け、決して広いとは言えぬ事務所で、細川と向かい合った。小太り、メガネ、脂ぎった顔に大声、といういわゆる政治家の印象とはまるで違う、穏やかで、品がよさそうな人物が目の前にいた。「これが五摂家の一つ近衛の血を引く、そして細川家十八代当主か」とまぶしい思いで面長の顔を見つめた。人間みな平等という民主主義の時代でも、「世が世ならとてもこうして対峙することは叶わなかった」という思いを消し去ることはできない。「谷村新司の昴という歌がありますね。あの中の二番に『我も行く 心の命ずるままに』というくだりがあるんです。あの歌に押されるようにして新党の旗を掲げようと決意したんです」。“殿”の言うことはほかの泥臭い政治家と違う。谷村新司だって。ほかの政治家なら村田英雄の無法松の一生、などと言いそうなものだ、と余計なことを考えながら聞いていた。

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