プラモデル作りの高揚感と罪悪感

執筆者:成毛眞2003年9月号

 一年に一回だけ自分へのご褒美として許している趣味がある。プラモデル作りだ。 子供の頃、プラモデルは高嶺の花。せっせと小遣いを貯めても、年に一台ゼロ戦を買うのがやっとだった。それゆえに模型屋でお金を払うときには、いつも後ろめたさを感じていた。この五百円で参考書の一冊でも買うべきかもしれないと逡巡し、「お母さんごめんなさい」と心の中でつぶやきながらお金を支払っていた。 プラモデルは、作ること自体が面白かった。出来上がったゼロ戦は次の日にはタンスの上に放りっぱなし。それゆえに罪悪感が増す。五百円は作っている最中の高揚感への対価だと気づいたのは大人になってからのことだ。プラモデルは子供でも説明書に従って作れば完成するようになっている。子供にとっては、何事もきちんと行なえる大人と同じ土俵に立った感覚を持つことができるのだ。 しかし、この「プラモデル罪悪感」は堅固だ。ポルシェの実車は買えたくせに、そのプラモデルはいまだ手にしていない。悪い思い出はないのだが、トラウマそのものだ。そこで一年に一回と条件をつけ、清水の舞台から飛び降りるつもりでプラモデルを買うことにしている。とはいっても、五百円のプラモデルでは損をした気分になる。いささか矛盾しているようだが、せっかく許されたのだからと思い切って高額のものを買うことにしたのだ。

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