行為は動機を正当化するか

執筆者:徳岡孝夫2003年9月号

 報奨金三千万ドルせしめた密告者がどこの誰か知らないが、ウダイ(三九)とクサイ(三七)は殺された。神経の傷つきやすい日本では、血糊に濡れた顔写真を伏せた新聞があった。スークの肉屋には血のついたヤギの首がぶら下がっている国では、あれくらいは平気。というより、あれを見せなきゃ、兄弟を仕留めたという話を誰も信じない。 メソポタミアに恐怖政治の王国を建て、子々孫々に王朝を継がせようとしたサダム・フセインの野望は潰えた。だがイラク人は、そう簡単には「解放」を喜んでいないようだ。 どの国のどんな政権下にも、体制派は必ず存在する。とくに独裁の国では、人は身の安全のため体制に加わって生きようとする。サダムは二十年以上も大統領で、バース党の支配はさらに長く、三十数年に及ぶ。 その間、イラク人は否応なく体制に順応して生きてきた。そこへ突然アメリカ軍が踏み込んだ。彼らは一九九〇年のクウェート侵攻も(サダムの教育により)正当な行為だと信じている。イラクは悪いことしていないのに、湾岸戦争で袋叩きされた。その後の経済制裁、石油禁輸、爆撃(誤爆つき)などによって苦しい目に遇った。今度また大量破壊兵器を口実に侵略された。

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