トニー・ブレアはいかに当面の窮地を脱したか

執筆者:マイケル・ビンヨン2003年11月号

労働党大会の名演説でひと息ついたブレア首相だが、再び問題が起きれば、「次のチャンス」が与えられることはない。[ロンドン発]ピリピリとした緊張感が伝わってくるようだった。九月三十日、労働党年次大会で演台にあがるトニー・ブレアは、まさに政治生命を賭けた演説を行なおうとしていた。首相の座について七年目、ブレアの足元は初めて揺らいでいた。「サダム・フセインの大量破壊兵器の脅威を取り除くため、イギリスはイラク攻撃に参加した」というブレアの主張に国民は疑念を抱いており、支持率は下降。労働組合は攻撃の好機とばかりに待ち構えていた。 しかしながら、口を開いて十分も経たないうちに、ブレアはすでに窮地を脱していた。鮮やかな弁説で、そのカリスマ性は未だ失われていないことを自ら立証してみせたのだ。イラクを攻撃したことについて、ブレアは一切の弁明をしなかった。自分のスタイルを変えるとも言わなかったし、改革の方針を変更するつもりもないと語った。まして、辞任する気配など微塵も見せなかった。 ブレアの演説は時に情緒的であり、時に古くさい言い回しを使い、またある時は挑戦的だった。そして、それは功を奏した。演説が終わると、会場を埋めた党員は、みな立ち上がって大きな拍手を送った。拍手する中には、ブレアを激しく攻撃し続け、大会翌日には病院の一部民営化や大学授業料の値上げなど、ブレア政権の国内政策を厳しく批判した労働組合の幹部らも含まれていた。

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