【ブックハンティング】 歴史の年表の表と裏

執筆者:保阪正康2003年11月号

 かつて大本営の情報参謀だった軍人から、「歴史の年表には表と裏がある」と聞かされたことがある。表というのは、いわゆる一般にいう年表のことで、どのような事件や事象がいつ起こったかが記してある。ところが情報関係に携わった者から見ると、これは目に見える現象にすぎないのだという。裏の年表というのは、関係者以外に知られず、そして誰にも検証の方法がない“目に見えない事実”を集積したものと言い、永劫わからないままになることが多いというのだ。 この軍人はひとつの例を挙げた。太平洋戦争時アメリカ国内の日系人が強制収容所に収容されたケースを語り、表向きは敵性外国人として、あるいは日系人が虐待されることを防いだためとされているという。しかし裏の年表によると、これは駐米日本大使館の情報部員たちが密かにアメリカ国内に作っていた日系人による情報組織の動きを封じる狙いがあった。現実に、ある情報部員によって、かなり広範囲に情報網は作られていた証拠があると断定するのである。 共同通信のワシントン支局長を務めた春名幹男氏は、太平洋戦争前から戦時下、そして占領期、日本が主権を回復した戦後の日米関係史の「裏の年表」に踏みこんだ。それが本書『秘密のファイル―CIAの対日工作―』(新潮文庫)である。この種の書は日本にはまったく存在しない。つまり丹念にアメリカの公文書館の資料を読み抜き、裏側に生きた人物たちをさがし、そして証言を求め、春名氏自身の確かな歴史観によって知られざる事実を提示しているのである。「裏の年表」の調査報告書といってもいいのだが、ともすればこうした書はきわもの扱いされがちだ。本書がその弊を免れている理由は、新聞記者としての体験をもとにした人間観察眼とその分析がきわめてレベルが高いためである。

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