狩猟民族型ビジネスマンの戦いの日々(下)

執筆者:梅田望夫2003年11月号

 バブル経済の終焉期に首尾よく日本を脱出しアメリカに戻った(一九九一年二月)ものの、金子恭規(一九五三年生れ)は淡々と過ぎ行くサンディエゴでの平凡な日常にすっかり退屈してしまっていた。平時にではなく有事に輝く金子には、興奮を伴う新しい冒険の機会が必要だったのである。 結論から言えば、一九九二年にシリコンバレーからかかってきた一本の電話が、金子を退屈の極みから再び興奮状態へと遷移させることとなったのだが、ある人生を振り返り、何が偶然で何が必然だったかを判断するのは難しい。「偶然にもかかってきたこの電話が金子の人生を大きく変えた」と考えることもできるが、ジェネンテック時代の元同僚たちの間で「あの暴れん坊の金子がサンディエゴで退屈している」という噂が立っていたことは容易に想像し得るゆえ、この電話は必然だったということもできる。 デビッド・ゴッデル。バイオベンチャーの草分け・ジェネンテック創業期からの科学者で、天才の名を恣にしていた男。このゴッデルが二人の科学者、スティーブン・マックナイト(現・テキサス大サウスウェスタンメディカルセンター教授バイオケミストリー部門長)、ロバート・ティジャン(現・カリフォルニア大学バークレイ校教授)とチームを組んで、一九九一年に創業したのがテュラリック(http://www.tularik.com/)。そのテュラリックに「最初のビジネスマンとして来ないか?」という誘いが、ゴッデルから金子にかかってきた電話の用件だったのである。テュラリックは「制癌剤や糖尿病治療薬といった巨大市場をターゲットとした超一流の製薬会社をゼロから作る」というビジョンを持ち、当時のバイオベンチャーの中でも特に野心的だった。

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