紛争地域にある日常

執筆者:大野ゆり子2003年12月号

「だめじゃないか。サンドイッチを残すなんて! お父さん、手に入れるの大変だったんだぞ!」と子供のランドセルの中身を調べて男がすっとんきょうな声を上げる。「お前ったら、リンゴだって齧りかけじゃないか」。舞台の中央にポツンと一人で座った男が、子供のランドセルを抱きながらぶつぶつと説教を始める。戦争で大変なのだから、ものを大切にしなくちゃ。お前だってわかるだろ、と声を和らげて甘く諭す。ひとしきりお小言が終わると、締めに父親らしき威厳を見せ、男は声のトーンを上げる。「もし、またこんなことするんだったら、このランドセルだってあげちゃうぞ。お前の弟に――」と言い放った瞬間、男は我に返り、そのランドセルを愛用していた子がすでに息絶えてしまったことを思い出す。そしてがっくりと老けこんだ声で呻く。「ごめん。お前は私のひとり息子だったね――」。 ラマラに本拠を置くパレスチナの劇団「アル・カサバ」による、占領下のパレスチナの日常生活を舞台にした演劇作品「アライブ・フロム・パレスチナ―占領下の物語―」がアメリカ、ロンドンなどで海外公演を行ない、評判になっている。政治的プロパガンダを排し、乾いたユーモアで普通の市民生活を描くのに成功したというのが、ガーディアン紙、ニューヨークタイムズ紙などの絶讃の理由である。先日、このブリュッセル公演を観る機会があった。冒頭に紹介したのは、その一シーンだ。世界中、どこにでも居そうな父親。どこででも聞かれそうなうるさい小言。しかし、その最後になって初めて、リンゴを食べきれずに死んだ子の不在が、黒い棘のように観る者の心にささる。

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