覇権主義と派遣主義

執筆者:2004年1月号

 イラク戦争に大義がないと感じる人が五割を超えた。フランスやドイツの話ではなく、ほかならぬ米国の世論調査だ。泥沼のイラク情勢に冷静な米国人はベトナムの悪夢を重ねる。唯一の超大国になった米国は、なぜか自信なさげにさらなる「覇権」を求めて疾走する。身体をつなぎとめるゴムの収縮力が弱まったバンジージャンプのように、元へは戻れない。 そのイラクへ自衛隊を送る。「国益」という得体の知れぬもののために。広大な砂漠の地に六百人ばかりの自衛隊が出掛けて行って、何ができるのか。装甲車ひとつ満足に運転できるかどうかさえわからないのだ。たとえ、役に立たなくてもいい、行くことに意味がある、ということだろう。初めに「派遣」ありきなのである。その前提での調査団の調査だから、「南部の治安は比較的安定」となるに決まっている。「派遣」こそが国際社会で日本が姿勢を転換したという「シンボル」なのだ。この機会を逃せば、もう二度と自衛隊海外派遣のチャンスがなくなるかもしれない、と考えている日本版「ネオコン」と、「やっぱり北朝鮮もあるしなあ」と暗黙の了解をしてしまう声なき大衆。二人の外交官を死なせたにもかかわらず、「テロの圧力には屈しない」「遺志を引き継ぐ」などとむなしいレトリックが用いられるのは、大政翼賛のころと似ている。

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