大事なものを捧げること

執筆者:徳岡孝夫2004年1月号

 人は何のために生きるか。生きているうちに為すべき最も大事なことは何か。私は長いあいだ迂闊にも、この簡単な問いに答えられなかった。解答を得たのは、三年前に妻を喪ってからだ。人は何のために生きるか? 人を生み、死者を弔うために生きる。それに比べれば仕事なんか、生きてるうちの手すさびに過ぎない。 青山斎場で行なわれた奥克彦さんと井ノ上正盛さんの葬儀をテレビで見ていると、小泉純一郎首相が弔辞の途中で絶句した。語らんとして語れず、しばし沈黙した。語れば泣いてしまう。一国の総理大臣が声と涙のせめぎ合いの間で堪えているさまは、やはり相当な力があった。感激屋の私はジーンときた。「知識人」は何をお考えになったか知りませんが。 奥氏は伊丹高校(兵庫県)と早稲田のラグビー部でフルバック(FB)だったという。近頃のFBはラインに加わって走るが、弱いフィフティーンなら転ってきたボールを拾ってタッチに蹴り出すだけである。ただしFBが粗末なら、惨憺たるスコアになる。高校の同期生は、遺体に向かって「奥よ、何を寝ている。起て。まだ後半がある」と叱咤した。 亡くなった人は三十歳と四十五歳だった。私は顧て自己のその頃を思った。三十歳の私はサツ回りの記者で、火事を起した解体中の元フランス豪華船を取材に行った。よせばいいのに船内に入り、出口が判らなくなって危うく遭難しかけた。背広と靴はダメになり、記事はベタ記事にしかならなかった。

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