インターネット神への信仰心

執筆者:梅田望夫2004年2月号

「グーグル(Google)の連中に際立つ特徴は、インターネットを擬人化して話すしゃべり方ではないかな。こういう姿になりたいという意志をインターネット自身が持っている。自分たちはその意志に導かれて技術開発をしている。彼らの言葉の端々からそんな雰囲気を感じる。しかもそのことを皆、誇らしく思っている」 グーグル世代の若い友人のこの言葉は、むろん誇張であろう。 しかしここ一年ほどグーグルという「新しい怪物」の特異性を考え続けている私の耳には、この友人の言葉が何かの真実を語っているように聞こえてならなかった。 グーグルの創業者たちや早い時期に参画した技術者たちを評して、天才集団というありきたりの表現は使うまい。シリコンバレーの超一流ベンチャーというのは、いつの時代でも、飛び切り優秀な連中が集まってスタートするものだからだ。問題はそのグループが持つ個性の性質である。 グーグルの場合「インターネットの意志」を実現したいという欲求が、その個性なのではあるまいか。たとえばこういうことだ。「グーグルを完全に理解するためには、個人・ビジネス・テクノロジストがインターネットをどういう性格のものと考えるべきかについての我々による再定義を理解するのが早道だ」という導入部に続く“10 things Google has found to be true”(グーグルが真実だと見出した十の事柄)という文章が、同社のウェブサイト(http://www.google.com/corporate/today.html)にある。これは企業が自らを語る文章としては、かなり奇異なものだ。その十項目の中に、“Democracy on the web works.”(ウェブ上の民主主義はワークする)という項がある。

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