インド式グローバリゼーションの軌跡

執筆者:サリル・トリパシー2004年3月号

この十年で一億人が貧困を脱し、悲惨な過去に別れを告げつつあるという。市場開放に転じた九〇年代から始まる経済成長の背景は――[ムンバイ発]一月、インドのムンバイ(旧ボンベイ)で開かれた「世界社会フォーラム」に参加するため、世界各地から約十万人の活動家が集まった。その目的は、グローバリゼーションに取って代わる経済モデルを提示することだった。彼らは、貿易と外国からの投資に市場が開かれるや否や多国籍資本が地元資本を駆逐し、世界銀行とIMF(国際通貨基金)がすべてを取り仕切るような市場主義経済に不満を抱いている。掲げられたポスターや横断幕は、「別のやり方があるはずだ」と訴えた。 ところが、ムンバイの千六百万の市民にとって、そんな訴えは単なる騒音でしかなかった。というのも、フォーラムの発言者が提示しようとした「グローバリゼーションに背を向ける経済開発ビジョン」こそ、インドがこの十年あまりの間に捨て去ってきたものだからだ。その結果、インドに何が起きたか? 市場を開放してからの十二年間に、インド経済は年率六%の成長を遂げたのだ。 一九四七年の独立以来、インドは市場経済に抵抗してきた。国家統制経済を選び、輸入品をできるだけ国産品に切り替える輸入代替政策と保護貿易主義を取ってきた。コカ・コーラやIBMといった多国籍企業を閉め出し、為替を管理した。あらゆる企業は国営化され、資本の調達や事業の拡大・縮小、株価の設定まで国家の厳しい統制下に置いた。

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