偏見と静かに戦った画家

執筆者:大野ゆり子2004年3月号

 アメリカ合衆国の「深い南(Deep South)」とは、かつて日本人留学生服部剛丈君の射殺事件が起きたルイジアナ州、アラバマ州などの南部五州を指す言葉である。私が一年間学生生活を過ごしたフロリダ州のp市も、半島の付け根にあるために、この深い南に数えられる地域だった。湿地が多く、マングローブという海岸や河口に密生する熱帯独特の木が生い茂るこの地域は、地理的な意味だけで「深い南」と呼ばれているのではない。心の奥底に北に対する反感が渦巻いていて、私がいた二十年前には、「南北戦争でどうやったら勝てたか」という議論が大真面目に交わされていたものだ。クー・クラックス・クラン(KKK)と呼ばれる黒人に敵意を抱く組織がいまだに集会を開いているという噂が時折ながれ、露骨ないじめはなかったはずなのに、同級生の黒人学生が、一人、二人と転校していった。p市の名前が全国紙を賑わせることはほとんどなかったが、唯一の例外が数回にわたって繰り返された中絶手術を行なう病院の爆破事件であった。 底が見えないほど水中でからみついて生い茂るマングローブの根のように、この地域の偏見、差別、保守的なものの考え方は、湿地の奥深くに根をおろしてしまっている、これを北の人間は「深い南」と呼んでいるのだ。

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