E. H. カーは名著『歴史とは何か』で、歴史とは歴史家が無数の原因結果の連鎖の中から歴史的に意味があると思われる関係を選択的に取り出し、解釈を加える作業であると述べている。イラクに対する米英軍の攻撃開始からちょうど一年がたった。この間、イラクや中東、さらにイスラム世界では無数の出来事や事件がさまざまな因果関係を紡ぎだしてきた。我々は過去一年の連鎖の中からどのような視点に立って有意味と思われる関係を取り出し、それを解釈すればよいのだろうか。 ここではまず、(1)中東の域内関係の流動化とその背景、(2)政治化したイスラム世界とイスラム過激派によるテロの増大、(3)民主化など改革を求める中東・アラブ世界の内外の動きとそれへの抵抗、という三つの流れを抽出する。その上で、イラク占領の正当性を軸に米国と国連との関係の変化を振り返り、その意味を日本の課題と合わせて検討する。 中東の域内関係が流動化しつつあることを端的に示したのは、リビアの大量破壊兵器廃棄宣言だった。本誌二月号『政権の正統性が問われる中東諸国とどう向き合うか』で論じたように、その背景には米国の圧力という外的要因と、「反米」「革命」といった従来のスローガンだけでは国民を動員できないという国内要因が絡んでいる。加えてリビアの政策転換はパキスタンを中核とする核拡散の実態をあぶりだした。パキスタンでは「核開発の父」アブドル・カディル・カーン博士が北朝鮮やイラン、リビアにウラン濃縮技術を「密かに提供していた」という“自白”に追い込まれ、北朝鮮をめぐる六者協議にも影響している。また、イランでは新たな核開発疑惑が持ち上がり、安全保障面でサウジアラビアなどペルシャ湾岸アラブ諸国に衝撃を与えている。

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